流れに従ひて己を失はず.

日々の研究について書きます

そんな小学生はいないのかもしれない話

社会人学生として通った博士課程を今年2022年3月に修了しました.経緯なんかはこれまでのブログ*1*2を読んでいただけると幸いです.昨年の博士論文審査への山場(予備審査)までの日々なんかは前回ブログ*3にまとめたとおりです.要約すると,ユーリー先生に教官専用書庫の鍵をもらった,という話でしたね.そこから本審査(2022-01-17)直前の年末(メモをみると2021-12-22)になってやっとハッとなってシステムのアップデート案を思いつき,「出来らぁ!」などと言いながらシミュレーションを年末と正月にやって年明け早々工作室に詰めるものの結局は欲しかった実験結果は全部揃わず,考察を書き足すというところに落ち着きました.完全体ではないものの,指導教員の「なんかしらん間に実験システムめっちゃ変わってた」という評価もいただきながら,予備審査からのアップデートを本審査で評価いただき合格となりました*4.なんかかんやでそこからまたアップデートなんかもあり,2週間で出来らぁとか言ってたと思ったら結局1年かかってるけど?ないつもの感じで今はそのジャーナル論文を書いています(仕事の合間に).ここでは特にこの1年で研究とその周りの考え方について自分の中で得たものがあったのでそれについて書きます.

自分のやっている研究内容というのは光3次元計測であったり,3次元ディスプレイであったりと光線制御に関するものです.光線制御の方式はたくさんありまして,その中でも自分はレンズや鏡を使って,既存の方式だとうまくできないことをなんとかしますよ,というものです.ここで自分の中で薄らぼんやりと長らく引っかかっていた事があります.その研究,実はとても簡単なことなんじゃないの?という,特に誰から言われたわけでもないですがなんとなく思っていたことです.要は鏡の反射とレンズの結像/屈折なので,小学校の理科で出てくる内容です.実験のために必要な少し込み入った道具やノウハウなんかは別にして,提案手法の原理の説明だけなら小学生にも説明できて,理解してもらうのも可能だと思います.自分が小学校6年生だったときにはおそらく理解できないだろう要素が何個かあるなと感じるところですが,当時自分が通っていた日能研で教室前方に座っていたバケモノ達(当時その自分との差に驚愕した)なら少なくとも何人かはうんうんと説明についてくるだろうし,その後中学/高校/大学/会社に居たやべー連中なら,タイムマシンで小学生時代の彼らを連れてくれば確実に理解できるだろうな,と感じます.ここで研究は難しいものがいい,と言っているわけではないです.とはいえ小学生でも理解可能なこと,ということは上の年齢層まで合わせるとかなりの数の人間が内容を理解できるわけです.つまり,理解できる人が沢山いそうな(=取り組んだら出来ちゃう?)研究って,本当に価値があるものなのか,ということをずっと頭の片隅で在学中考えていました.これはここまで述べたような研究内容の理解のために必要な知識のレベル/量,という観点からもそうであるし,後述のように自分にとって研究が楽しくて仕方がなかった,という点にも起因していると思います.楽しいからやっていて,楽しいのは楽しいんですがそれが遊びや趣味といった概念と分類的に近くなってしまって,学問や知,専門性といった概念と離れているように感じていたからかもしれません.社会人博士という立場上どうにかこうにかやりくりしているこの貴重な時間とお金は無駄なんじゃないかとか,家のガレージで核融合炉を作っちゃうようなキッズが実は去年の自由研究でそれやったよおじさん?,とか言ってくるんじゃないか.そんなことを考えていました.

博士課程には結局4年半在籍して,各ジャーナル論文が採録になったときは自信を戻したり,研究がうまくいかなかったときは不安になったりしていたんですが,この1年で少し安定したというか,そんな小学生はいないんじゃないか,と思えるようになってきた,という話です.前置きがとても長くなりましたがこの記事は社会人学生 Advent Calendar 2022 - Adventar2日目の記事です.


おぼろげにつらつらとここまで書きましたが整理すると下記2点です.つまり「そんなん小学生でもできるで!」というツッコミと「そんな君は小学生レベルだよ?」というツッコミです.

  • 研究内容が専門的知識なく理解できてしまえることへの不安.
  • そんな研究をやっている自分の研究者/技術者としての力量への不安.


1番目の不安をそれとなく指導教員に伝えるとさすがの回答が返ってきました.要約すると,

深く細かく入り組んだところに入っていかなくても,少ない知識で理解できるレベルのところに問題をくくり出せて,その解決にもまた込み入ったことをしなくて良いってことは,それが価値になってるんじゃない?

これは良いことを言ってくれるなと思いました.基礎からちょこっと路地裏に入ったところに実は誰も通ってない道がふらっとあったりして,それがいい道だったりするかもなんですよね.簡単なことでも,それが今まで誰もやっていなくて,役に立つことなら価値がある.見つかっていなかったってことはなかなか気づく人も居なかった.気づけたことに価値があるんじゃないか.そうなんですよね.もうそこにあって,もう道筋ができてるからふんふんと理解できて,何気なく簡単に感じてしまうことってたくさんあるんですけど,ゼロの状態から作れってなったらかなり厳しい,いやいやこれ何食って生きてたらこんなの思いつくんだよ,ってなるものってたくさんあると思います.今ではもう当たり前になってしまってなんとも思わないけど,ミニ四駆でワーイとやったあとにRCカーを組んだとき,デフギヤ(特にボールデフ),ユニバーサルシャフト,Wウィッシュボーンサスあたりの機構に腰を抜かした当時の記憶が蘇りました.理解できる人が沢山いそう→取り組んだら出来ちゃうというのはそんな簡単につながるところではない,と思うことができました.
先生,ありがとうございます.


博士号取得後に学科の学生さん達に向けて博士課程の体験談を話す機会を頂き,色々なことを振り返ったりしていて感じたのが,自分は研究楽しめてやれていたなぁということです.上で述べたような不安っていうのは二次的なものというか研究の周囲に渦巻いてるものなんですが,その研究の中心でやってる手を動かしてシミュレーション組んだり実験したり,ってのは楽しくて仕方がないです.そもそも博士課程進学にあたって理由ってその学位だったりその後のキャリアパスだったりと人それぞれかと思うんですが,自分の場合はこの研究やってる時間楽しいんす!というのが1番大きいです(入試のときには楽しいは楽しいけどそこまで本当に楽しめるかまだちょっと自信はなかったですし,楽しいからっす!!!っていう説明はさすがにヤバそうなのでそれは避けて新規性やら有用性なんかを言いました).小さい頃から工作したりミニ四駆したりプラモデル作ったりするのが好きで,その感覚に近いなと思います.仕事終わりや休日に研究して偉いね,みたいなことを言っていただけることがあります.時間を作るという点ではかなり頑張ってはいましたが,自分の中ではTAMIYAプラモデルファクトリー*5に行っているような感覚なのでちょっとそこは苦笑いだし,いやむしろ夫が大学という名のミニ四駆屋に入り浸ってるのに許可出してくれる妻氏&子ども達の方が偉いのでは...でもまあなんか俺とりまツイてる?と思っていました.もしかしたらそんな感じなので上のような不安があっても平気だったのかもしれません.妻氏におれの趣味って自転車とボルダリングとあと何かある?って訊いたら即答で「大学」と返って来ました.この,楽しいと思えることを見つけられた,+気付くことができたというのがここで言いたかったことです.楽しく感じることと,合ってること(結果が出るか?)というのは別の問題でもある(下手の横好き)んですが,「楽しいと思えること」が合ってることの一要素でもある(好きこそものの上手なれ)と思います.考えてみれば集中力は他のことに比べて明らかに高いですし,別のことをしていてもなんとなくそのことを頭の端のほうで考え続けていられます(自分調べ).自分は小学生から高校生までサッカーをやってたんですが,今から思えば楽しめていなかったんだなと思います.反対に大学から始めた自転車はとても楽しくできて,これは自分のフィジカルやメンタリティと相性が良かったこともあるんですが上手くマッチして結果も出ました.楽しいとトレーニングも集中できるし効率が全然違うんですよね.大学入試,専攻選択,院試,社会人経験など経て30過ぎでやっと進路が少しクリアになりました.耳をすませばの聖司くんはあの年齢で進路をバッチリ決めていて本当にすごいですよね.自分はかなり時間はかかりましたがそういうものをやっと見つけられた気がしています.また,進路選択を今からでもできる環境にも感謝だなと思いました.たぶん自分が楽しそうにやってるのを見たからか,妻も今年から大学に入学してます.


さて,指導教員のありがたい言葉で1番目の不安が消え,楽しいと思えることに気づいて2番目の不安要素も薄れてきました.あとはこのテーマが本当に自分に合ってるか(下手の横好き疑い),という点です.ここで自分の中で,学位という一つの形になった,ということがかなり大きな支えになったように思います.もともと自分は謎の自己肯定の習性があって,例えば数式ハラスメントな授業(自分がそう感じていただけです.すみません)で心がやられちゃいそうになっても「いやいや先生の板書の理解全くついていけなくなってるけど,いうてこの教室の中で個人追い抜き(自転車でやる4kmのタイムトライアルです)一番速いのワイやん?」という謎の論理を以て自分の形を保っていました.こんな自分にとって,なかなか博士号はいい鎧になります.人から何を言われようとも(繰り返しになりますが人から非難されたことはないです),あの先生方が認めてくださったんだからへーきへーきとなりますのでかなりメンタル的に助かります.ということで博士号も取れたしこのテーマ,合ってるのでは?いやいや,合ってるでしょ!


そんなこんなでいい指導教員に巡り合って,楽しくやって,学位もらえて,ちょっと自信ついたよ.という社会人学生おじさんの話でした.
縁あって今はアメリカで仕事しているんですが,同僚から「これ子供の自由研究やねんけど君の研究テーマと似てない?」とかスマホの画面見せられて気絶する,ということも幸いまだ経験ないです.