流れに従ひて己を失はず.

日々の研究について書きます

社会人博士課程近況報告

(こちらは社会人学生 Advent Calendar 2021 - Adventarの3日目の記事です.)
今年も書かせていただきます.改めて自己紹介いたしますと,東京大学大学院情報理工学系研究科の博士課程学生です.2017年9月入学ですので現在5年生となってしましました.社会人的要素の方は日立製作所研究開発グループで人工知能イノベーションセンタなるところに所属しています.ご参考*1(なんかテクノロジーによってちゃんとした感じの青年風ですね.これが私の真の姿ですのでよく覚えておいてください).


いろいろ大変だったけど,どうやら来年2020年3月修了(4年半)で博士号とれそうな雰囲気出てきたよ,というのが概要です.


去年の同時期に書いた内容*2からやっていたことですが,なんとかまずは2本目の論文を通した,というのが最初の話題です.去年の12月の段階でまあほとんど書けていたので,英文校閲などをはさみながら1月には投稿できました.んで2月に結果が返ってきてリバッタルです.ここでありがたかったのが緊急事態宣言のことを学会側に説明するとすんなり修正期限を延長してもらえたことです.神です.論文誌としてはかなりのスピードで審査してもらえるこの論文誌*3ですが,レビュワの方々にこのスピードで審査していただきながらこっちの修正遅いってちょっとだめなやーつやん…とか僅かに思いながらもちょうど仕事も忙しかったのもあってお言葉に甘えてしっかり時間をかけて修正しました.その後は3月修正稿提出と回答,4月採録となりました.万歳.このテーマには正直時間をかなりかけてしまって,設計ミスをやらかしてしまったり,一度装置を組んだけど組立精度が出なくてもっと精度高いパーツで組み直したり,曲面鏡の制作で表面蒸着メッキについて学んで神がかり的に親切で腕のいい職人さんに巡り合ったり,,など色々ありましたが,論文書くぞとなってからはすんなりで良かったです.あと,博士論文への貢献という意味でもとても大きな前進でした.うちの研究科の博士課程では博士3本柱と言われていて,業績が3つ必要と言われています.業績というのは学会発表でもいいし,なんなら学会には通っていなくても実験結果だけでもなんとかなるらしいです.とにかく博士論文審査で先生方がそれぞれが1つの柱となるべき内容になっているかをみるというものらしいです.ですがまあディフェンスのときに論文通ってます(フンス!!)と言えるのがベストなので,ここで2本目の論文がすんなり通ったのは非常にデカイです.


次は娘氏が3月に生まれたよ,という話です.思えば大学入学した頃には妻氏と自分の二人暮らしだったんですが,2018年に息子氏が登場し,今年には娘氏が登場しました.振り返れば2017年当時いろいろありましたが思い切って進学を志してよかったなと思います.たとえば今の現状から新たに進学,というのはだいぶ心理的に超える壁が大きい気がします.話を戻すと,娘氏の登場に合わせて会社は育休取得しました.娘氏は3月の下旬に登場したので,3月の下旬-5月の下旬まで育休,5月の残りは有給休暇で休みをもらい,2ヶ月と10日くらいの長い休みをもらうことができました.なんで期間中途半端だし有給使ってんの?というところは,私の自治体のルールが「父母同時に育児休業を取得する場合は、保育の必要性が認定されず、先に通園している保育園を退所となります。(要約)」となっていて,これ以上育休とると上の息子氏が保育園にいけなくなってしまうためです.このため妻の産休終了(育休開始)の日までしか自分の育休は取れませんでした.育休期間中は2人目ということで慣れた部分もあり勝手知ったるで楽にこなせるところもあれば,想定外のこともあったりでかなり慌ただしく育休期間を使い切りました.新型コロナのこともあり実家の両親を招聘するのも難しかったですし,この育休無かったらどうしてたんかな...となるような感じだったので非常にとってよかったなと思いました.育休取得はじめ関係者の皆様には感謝の限りです.改めてありがとうございました.こんな感じなので大学の方で3,4,5月は進捗なしです.


次は博士論文3つ目の柱となるテーマの話です.上のような感じで6月から本格的に作業再開したわけですが,一応去年から論文投稿の裏で実験装置の設計やらシミュレーションやらをやっていたのでゼロからというわけではなく,6月時点で装置の大体ができていた,という感じです.6月7月はある程度構想を練っていた内容のために装置のキャリブレーションやって追加の実験装置作ってデータ取って...ということをしていました.そんなこんなしてるうちに新型コロナが結構なやばいことになってきてしまって,大学に実験で出るのがちょっと...という感じになってきます.学生時代みたいに大学まで徒歩圏内だったりすれば特にためらいは無いんですが,まあまあ混んでる電車に乗って通学が必須とかだとちょっと悩みます.ワクチンは幸い同世代の中では早い時期に2回目まで完了できていたんですが,この辺のリスクテイクのバランスは人によると思います.結果8月は完全引きこもりにしました.幸い上で述べた実験,と言ってもまあ予備実験くらいの感じなんですが,7月の末に指導教員とこれをポスターに出そうかという話をして,8月頭にはこの投稿内容を書こう,またこの内容のブラッシュアップ(サーベイとかストーリー作りとかこれからやる実験案)を8月後半にやろうということに決まり,大学には行かなくて実験もしないけどそれなりにやることはある,という感じで8月は過ごします.正直この段階では,来年の3月終了は無理かな〜という感じになっていて,大学に行く通学時間がなくなったことでできた時間なんかで余裕ぶっこいでこんなの*4を書いたりしてました.シン・エヴァ良かったですね.とかなんとかしてるうちに8月も終わりになって,再度指導教員と打ち合わせです.自分は長期履修状態ですので半年ごとの3月と9月に,次の半期で博士論文審査のトラックに乗るかやめるかの返答を教務課にする必要があります.ここで指導教員にこうこうこういう状況でやんすけど,まだまだ材料足りんすよね…ちょっと今回も見送りかなと…みたいな空気で相談したところ,

指導教員「え?そうなん?ポスターも出せてるし,内容的にも9月にもうちょい頑張ればイケるで!!!(意訳)」

なるコメントをいただきます.お,おう…でもそんな頑張るような感じで大学行けるかいな???と思うもののこの追い風は嬉しいです.妻氏に相談してみたところ

妻氏「え?そうなん?じゃあさっさと卒業せえや!!!9月は好きなだけ大学行ってええで!!!(意訳)」

なるコメントをいただきます.お,おう...っしゃーおらー!!!!!であります.まあ状況をわかりやすく説明すると,キートンがユーリー先生に教官専用書庫の鍵をもらった状況とほぼ同一です.本当に協力してくれた家族に感謝です.ということで9月は本当に会社の業務以外の時間全てフルコミットで大学にぶち込みました.通常の1週間で大学の方にかけられる時間は20時間くらいなんですが,この9月中は1日の飯・風呂・睡眠以外の16時間の内,平日8時間の業務以外はすべて大学のことに使えたので1週間で72時間くらい使えます.時間だけみても3.6倍ですが実機を動かしての実験なんかはまとまった時間があるとその分捗るので実際この1ヶ月で半年分くらい進みました.今思い返すと,あ〜9月は時間もかけられたし進捗も出たし充実してたなぁ〜という思い出なんですが,よくよく考えてみると当時はうまくいくかわからん実験や理論整理なんかで結構きつかったです.あとは9月末で実験室を引っ越ししないといけないというバタバタなんかもあり,なんとか完走したという感じでした.あと嬉しかったのは上でちょろっと述べたポスターに通ったのも大きかったです.新規性の主張が結構微妙な気がしていて,指導教員ともそんな話をしていたんですがなかなか高評価でアクセプトだったのでこれはテンション上がりました.


最後に博士論文審査の話です.上のような感じで怒涛の9月を終え,9月末に再度指導教員と打ち合わせて来年3月修了に向けて審査を受けることになりました.大体うちのコースではこのトラックだと11月中頃予備審査,年が明けて1月中頃に本審査です.11月中頃予備審査にはもちろん説明資料も用意しないといけませんし,事前にだいたい1週間くらい前には審査いただく先生方に博士論文を送付する必要があります.9月が上のような感じでてんてこ舞いですってんてんだったので,もちろん10月頭の時点で博士論文も説明資料もこの世には1バイトも存在していません.学部時代の同期でもうとっくに博士号とった奴と話してたら1ヶ月で間に合うんかいなみたいなこと言われました(まあこいつは定期テストに計画的に準備して臨むタイプですが).それどころか上のポスターの方で学会に提出する動画を撮らなきゃいけなくなったものの,引っ越しで装置を1回ばらしてしまったため組み直し+再度キャリブレーションが必要になりました.さらにキャリブレーションが8時間かかる上に途中で結構大きめの地震があってもう一回やり直したりしてかなり時間を削られました.なんやかんやしていたら大体書くことの箇条書きメモ程度は10月第1週には書けていましたが実際にちゃんと書き始められたのは10月第2週からです.予備審査の日程は結局11/12と決まり,この1週間前11/5が博士論文自体のデッドラインです.図をちゃんとしたり引用を合せたりなどの調整に1週間かかると見て10/29には少なくとも博士論文の形をしたものができていないといけません.1章の序論,2章の背景はちゃんと時間をかけないといけないなと言う意識はあり,一方で3本柱の各論となる3章4章5章にはそれぞれ投稿済みの論文と9月に整理した内容をあてればいいとはなんとなく考えていました.結局1章の序論にまるまる1週間,2章の背景をなんとか3日で終わらせました.ここで10/20水曜日です.この時点で博士論文そのものが20ページくらいしかない状況はかなり焦りました.ですが各論に入るとサラサラと書けて,結局ちゃんとなりました.とまあかなりカリカリしながら書いたような雰囲気を出してますが,実際書いてるときは楽しかったです.自分の好きな分野の概観なんかを色々もう一度調べながら書く,というのはなんでしょうね世界史資料集をずっと眺めてられるような面白さがありました.さて11/5金曜日に博士論文を先生方にお送りしたと思ったら次は発表資料です.もちろん11/5の午後先生方にメールし終えた時点で「予備審査.pptx」はこの世にまだありません.なんか自分でもよくわかりませんが勢いと過去の学会発表の資料などの助けを借りながらなんとか予備審査当日11/12の朝までに完成にこぎつけました.これほど学会発表しといてよかったと思ったことは他にないです.論文投稿だけにしなくてよかった.発表時間50分の内容なので練習はあまり回数はできませんでしたが早起きしたりなどして再度練習をやっておいて,当日朝息子氏の「とうちゃん頑張ってね〜」で勇気をもらいました.発表自体はなんとかうまくできたかな,という感じでしたが,オンラインだったので途中の先生方の雰囲気が読めずかなり脂汗をかきながら話していました.質疑も後から指導教員と振り返れば粗がありましたがベストを尽くせたんじゃないでしょうかという感じで無事終わりました.結果,終了後20分ほどで合格のご連絡いただきました.とりあえず休まねばということでずっと行きたかった庵野秀明展に行き,寿司を家族と食べて*5寝ました.
かなりドタバタとしてしまった3ヶ月でした.精神と時の部屋に入ってた感があるので9月がもう1年くらい前に感じます.もちろん,計画的に準備しなはれ!時間に余裕をもって!というご意見はごもっともなんですが,えいやっとこの短期間で集中してできたのはよかったかなと自分では思いました.例えば自分は文章を書くとき,紙にペンでザザーと下書きをしてから書くんですが,今回は序論を書いている段階で「こんなことでは間に合わん!!」となってもう直接texに打ち込んでいきました.いままでは一回紙に書いてじゃないとまともな文章は書けんのや,と思い込んでいたんですが直接アウトプットでもいけることに気づけてよかったです.いやすみません,いけてるのかは結局わからんですが予備審査合格なので許してください.本審査までにはちょっと時間があるので,ここで時間をかけて上げられるところを上げていきます.要するに集中できてよかったですということが言いたいです.


去年こんな記事*6

エジソン ひどいのは社会人博士。3年間毎年53万円払えば博士号を取れる。下手したら指導教官に論文を書かせて博士の肩書だけもらえる。教授の判断で短縮卒業だって可能。
(https://www.newsweekjapan.jp/stories/technology/2020/10/post-94727.phpの3ページ目より)

を見かけて,「え,そうなん???いやいやいや...というかむしろ社会人博士の印象ってこんななん...」となってちょっと悲しくなりました.ですがまあ色んな人と話したり,研究しながら考えたりして,結局のところ自分がちゃんとしようとなったこの1年でした.こんな記事が存在するということは,ここにあるような例や近い例も存在するのかもしれません.まあでもそんなことは気にせず胸を張って博士号とったぜ!と言えるような頑張りをして,ほんとに君博士号持ってんの?と思われないような頑張りをし続けて行こうと思うのでした.

本審査がんばります.良いお年を.